吉葦有梨 よのなかのこといろいろ

よしとあし、ありとなし

第百七十八話 円山応挙と

昨日NHKEテレの『日曜美術館』「夢の応挙 傑作10選」を見た。
応挙はいつ見ても素晴らしい。


彼が始めた革新的な技術
 (描かないことで表現する、屏風やふすまの折れ曲がりも構図に利用)、
写生を始めたこと、などなど、
それ以降は主流派になって当たり前なので大して評価されない、
というか、けなした方がわかってるように思われる。


2004年に東京江戸博物館で「円山応挙展」を見た。
圓満院門跡の「大瀑布図」を折れ曲がった状態見せたり、
大乗寺の金襖が元の部屋通りの空間に展示されていたり、
応挙のスケッチ帳の展示もあったし、
かわいいワンコも虎さんも優美な幽霊もたくさん見られて、
大変に充実したものだった。


ものすごくうまい。 
端正で品がある。
それでいてユーモアあふれているものや「カワイイ」ものもたくさん。
才能に加えて絶えず努力を重ねている。
今までになかった技法や構図。
繊細だがスケールが大きい。
弟子の慕い方を見ても温厚で円満な人格。


なのにあまりにも欠点がなく主流になったため、
ほめるとシロウトみたいに扱われる。
「うまいけどおもしろみがないんだよね」とかなんとか、
わかった風に言うとかっこいいような気がするんだろう。


見ているうちに憤ってきちゃってね、
片岡仁左衛門みたいだって。
できるから、美しいからけなしたらカッコいいってなんなのよ。
人をけなして自分が偉くなったような気になるなんて最低だよ。


仁左衛門を襲名してからはそうでもなくなったけど、
それは名前の力、すなわち権威もあるんでしょ。
人をけなしていい気になるヤツって、
要するに自己評価が低いから、権威には簡単にへつらうんだよね。


片岡孝夫時代はずいぶんひどい扱いも受けていた。
私もファンだと言うと「お嬢ちゃんミーハーだね」な態度で接する年配男性もいた。
だが、仁左衛門の始めた演技が今の歌舞伎で主流になったのも多いのだ。


たとえば『七段目』の平右衛門、以前は全然無邪気にやっていた。
片岡孝夫の演技だと平右衛門の置かれた微妙な立場、胸の内がよくわかった。
今の若手はそれを踏まえた演技をしている。


孝夫時代は三男の彼に大きな名前が来ることはないだろうと私は思っていた。
いくら上手くて、歌舞伎全体の演技を変えるほどのことをしていても
人間国宝なんて夢のまた夢。
いいよ、歌舞伎界の人間国宝は家柄で指定される人が決まってるんだから
と自分を慰め、あきらめていた。


でも、指定を受けた。
ちゃんと見てる人は見てるんだとうれしくなった。


仁左衛門が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る